祭事・的射」立ち上げの主旨及び意義

                      住吉神社祭事「的射」検討委員会

  吉井庄・住吉神社宮之當の由来・歴史

 吉井庄は鎌倉期に見られる荘園名。「続左丞鈔」に正嘉(ショウカ)元年(1257)

白川資緒(神祇伯)の注進状を集録している。

それによると、神功皇后により住吉神社(摂津の住吉大社)に寄進された社領であるという。

 吉井の庄・住吉神社「宮之當」の起源は明確でないが、【中世の平安時代(1150年頃・保元元年=854年前)に氏子が住み着いたと伝えられている】。

本殿神社は中世の鎌倉時代(1257年頃・正嘉元年=753年前)の創建である。

その後、氏子により神事が執り行われたのが中世の室町時代(1410年頃・応永6年頃=616年前)に発祥? 後に「宮之當」と名付けられたらしい。

 当初の宮之當は25(その後に211日に変わる)に行われる

吉井住吉神社の「宮之當」は、中世の村の組織を色濃くとどめている。

2人の当人がいて準備・当日の直会(ナオライ)・的射神事など執行する。

それとは別に正座株・弓株・包丁株が存在する。

 以上のように500600年の歴史と伝統を持つ吉井の庄・住吉神社並びに宮之當・的射を後世に伝え継承し、地域の活性化に努めたい等の意義で企画立ち上げとなる。

故に、可能な限り本来の宮之當・的射神事の踏襲を基本に据え、一人でも多くの住民・氏子が神社に参集し楽しく過ごし、且つ継続継承できる行事になることを念頭に於いて企画運営する。

 そこで名称も新たに「吉井の庄・住吉神社祭事 “ 的射 ” 」に改名、中味は可能な限り伝統を受け継いだ形態の的射とする。

 

cf 神當は

 祀る神は大歳神社(大歳の尊)と薬師堂(薬師如来)。宮之當は住吉大明神(神功皇后)

 最古の書類は1927(昭和2)10月の「神當各御姓名帳」が在るのみ

 1961(昭和36)108日を持って廃止して宮之當へ吸収される

  その時、未だ宮之當に入党していない成人男子には宮之當入當者として

  「宮之當各御姓名帳」に記載。

 この時点で神事行事を一本化し、伝統ある祭事・神事の運営を司る。

 

歴史のの詳細、古文書、記録写真やコメントは以下のURL

http://www.ry-fujiwara.netのトップページ→メニューの地域行事活動の各項目に

Movieはトップページの右上「MyGallery (http://gallery.me.com/ry_fujiwara)記載。