宮 之 當 神 事  NO.4
  
2007(平成19)年2月11日開宴・宮之當(ミヤノトウ)

吉井の庄・住吉神社「宮之當」の起源は明確でないが、本殿神社は中世の鎌倉時代(1257年頃)の創建である。
(中世の平安時代(1150年頃)に氏子が住み着いたと伝えられている)
その後、氏子により神事が執り行われたのは中世の室町時代(1410年頃)に発祥?、後に「宮之當」と名付けられたらしい。
 しかし資料はなにも残っていない。

入當制度による最後の宮之當となる

新入當者2人、挨拶
2月11日・宮之當「直会」開式
今年の入當者:(左より)岸本良任くん(小学校6年生)、久保和斗くん(小学校3年生)の新入當挨拶

輪・和・話の直会
境内の特設座席上で
例年になく暖かく快晴の一日。出席者も多く26名になり、直会も輪・和・話の中で3時間余りが、非常に短く感じ盛会に終わる。

新入當者は世話人の誘導で、最初と最後に党員全員に挨拶をする。

直会
9:30~12:00  参拝、直会(ナオライ)
   12:30~13:50  的射の神事、散会
給仕人2人の接待でお互いにお酒を酌み交わし話に花が咲く。
当日は加東市情報センター、加東市教育委員会、東条歴史を掘りおこそう会の皆さんが見学して、ビデオにデジカメ撮影にと賑わった

直会…給仕人活躍
8升の御神酒も飲み干すには時間は掛からず、後から追加する次第。

直会…給仕人活躍
直会を祝福しているかのような暖かい一日で、参会者は身体の中も外もポッカポカ。
(後方は観音堂)

包丁株ののし餅切り
包丁株により、直径約25cmの「のし餅」12枚を参会者に配るための「ごくもち」に裁断
半紙に2枚組で包み、世話人が参会者に手渡す

包丁株ののし餅切り
包丁株の「ごくもち」作りと介助役の世話人

周囲からは撮影のシャッター音が境内に響き渡る。
(写真左:世話人、右:久保勝彦氏)

弓株2人、いざ出陣
二人の弓株、いざ出陣
弓・矢・的箸を神殿よりおさげして、的射の準備へ(左:岸本昭夫氏、右:長尾農夫也氏)

的射の的
23メートル後方に設置された直径1m90cmの的

弓株、先ずは試し打ち準備
最初の一矢は、弓株の二人が射る
それぞれ的箸2本を的株に挿し、二人が交互に2ほんの矢を射る
新入當者2人は放たれた矢を拾い、次の射者に手渡す

各々2本づつのやを放つ
最後に的射の神事を執り行う
1本の的箸を的株に指し、1本の矢を放つ。
的箸24膳(48本)あるから48回弓を引く。
的射の距離は23〜25メートル

順番待ち
的射を待つ者はサイロで暖を取って待つ
(後方の集団が参会者、的前から撮影)

散会者の的射
右、神楽殿近くには見学者を見る
弓・矢の位置を賑やかに講釈する参会者もあり、和やかな内に的射の神事が進む。

的射アップ
的射をアップ

順次的射
参会者が順次的射
後ろの茅葺き建物は「神楽殿」

新入當者の的射
的射の最後から2番目は末の当人の的射だが、今年は決まっていないため、新當人2人が的射
両者とも小学生のため、父親が手ほどき?射ても、なかなか的までは届かない。
特別参加で新當人も的射を許され弓を引く瞬間


良い想い出の体験ができ、今日という日を忘れずに受け伝えてくれることを切望。

的射の終了
的箸48本の矢も放たれ、片づける弓株
後神殿に報告・納めて閉会となる。
参会者を初め見学者の方々もご苦労様でした!

※次年度からは、新しく入當する人が無く、「宮之當」保存・継承をどのようにすべきかを委員会を立ち上げ模索・検討中である。
「新的射」としての立ち上げ・定着を!
 3年間のブランクを経て2010年10月2日の秋祭りの宵宮に住吉神社祭事「新的射」として立ち上げ、永遠に引き継がれ保存される地区伝統神事祭事となることを氏子共々願っている。

DVDについて!
 
数百年以上続いた歴史と伝統を持った神事祭事を後世に伝え残すため、一連の行事をビデオ撮影してDVDに焼き付け残す。
 早朝から夜遅くまで3日間にわたり撮影願った「東条の歴史を掘り起こそう会」の邦近従宏氏をはじめとして、
 お世話ご尽力願った多くの方々に心から感謝とお礼を申しあげます。有り難うございました

 DVDの詳細については、こちらにアクセス して下さい。

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